自分で自分が矛盾した人間やと思うことがある。
神も仏も信じるし(お化けと占いは信じない)自分でも信心深い奴とは思うが、先祖の霊がどうしたこうしたなんて全く頭にない。
したがって、墓参りなんて面倒以外の何物でもないイベントになっていた。
もちろん死んだ親父を粗末に扱うつもりなぞないが、「亡くなった人間より、生きている人の方が大切」
困った時の神頼みではないが、盆の一日だけ墓に出向いて、先祖に何かをお願いすることに抵抗がある。
そもそも、先祖と神様は違うやろ。
こんなことを考え出すと眠れなくなるので止めよう。
以上のように、信心深いくせに、墓参りなぞまったくしない罰当たりな男であるが、今年はちょっと違う気がする。
盆に先祖の霊が、云々はそれぞれの信仰に任せるが、この時期に集中する休みを利用して、家族揃って墓に参るのは大きな意義があるように思える。
普段は離れて暮らす家族が一つになる貴重な時間。
盆休みの大移動なんて、それだけ考えると非効率以外の何物でもあるまい。
果てしなく続く渋滞に高い料金に、うだる暑さ。
それでも故郷に向かうのは、単なる義務だけではない。
親は子や孫の顔を見る楽しみがあり、子は親に甘えることができる大切な時間ではないか。
あっちこっちで家族揃って墓参りをする光景が、角膜に映る。
さて、いつから母の手をひいて墓参りしていないのか?
墓参りどころか、いつから母の暖かさから遠ざかっていたのか?
親に甘えることが出来る時間はそう多く残されていないことに気が付いた夏。