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DNA

8月に入ると広島市民は原爆被害について語らないと非国民と思われるので(うそよ)オレも語ってみることにしよう。

しかし、TVやラジオやマスコミで伝えるようなことを個人的なブログで書いてもつまらん。
そこには独自の視点が必要である。

独自の視点?

ならば、元職人としての見方で誰も伝えたことがないような話にしよう。


オレは子供の頃、奈良で育った。

縁あってこの地に移り住んで早30年が過ぎた。
確か学校で習った記憶では

「広島は原爆の影響で50年か60年はペンペン草1本生えない」と教えられていた。

皆さんも聞いたことがなかった?

そんなとろこに来るのは気が進まなかったが、いざ来てみると緑は青々と茂り水は豊かにたたえ適度に田舎で、駄菓子屋のおばちゃんはおまけしてくれるし、風呂屋のおっちゃんはこっそり女風呂を覗かしてくれたりもしてことのほか住みやすい街である。

さて、2LDKの銀蔵邸から北に向かって約5キロほど行くと平和記念公園がある。
公園内には原爆ドームもある。

その敷地内には原爆資料館ってのもあって、都市を復興させる象徴として有名な建築家である丹下健三氏のグループが設計したのは知られた話である。

100725_1342~01
資料館の外観はこんな感じ(ヘボイ写真ですまん!!)

一階部分は通り抜けが出来るようにこんな感じ。
100725_1349~01
雨宿りも出来るし修学旅行生はここで弁当を食うことも出来る。

100725_1348~01
庇の部分はこんな感じで夏は風が通って結構涼しい。

余談になるが「庇(ひさし)」を漢字で書かせたら「屁(へ)」と書いた奴がいた。

大恥をかくのであなたも間違えないように!!

100725_1347~02
ちなみにこれは何の関係もない。

オレ、飛行機が飛んでいるのを見るのがすきなんよなぁ~



しかし!!屁や飛行機雲の話なんかどおでもええねん!!


問題はこの建物の話よ!!

100725_1344~01

はるか向こうに小さくドームが見えるけど、それはおいといて、建物を支える柱の一本であるが、真ん中あたりがセクシーなお姉さんのようにくびれているのが分かるかな?
100725_1346~01
これを違う角度からみるとこんな感じ。

柱の上の方が大きくなっているのがお分かり頂けるかな?

これ、本職の目からみたらどんでもなく難しい建物である。

今の技術をもってしても相当に難しいし手間がかかることは間違いない。

どれ位難しいのかまた明日に続く。
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菅原文太の立ちション・エピローグ

あなたは感謝しなければいけない!!
何に?

都市部に住んでいることに。

大都会でなくてもせめて県庁所在地に近いとか、交通の便が良いとかそれなりに意味が大きい。

治療の所得格差ってのは随分前から言われていた。
簡単にいえば「金がなかったら診療どころか薬さえ処方してもらえない!!」ってことである。

2008年頃から急に増えた気がするね。

その所得格差に加えて「地域格差」ってのも存在する。
日本で活躍されている外科医の数が推定で10万人。

昨日まで紹介した放射線治療を施せる施設の数が全国で約750に足りない位。

一方、放射線治療を行える医師の数・・・




推定600人。

施設の数より医師の数の方が少ない。
その医師の多くは大都市に集中する傾向がある。

もし医療過疎地のお住まいの方で、近くに放射線の治療施設と専門の医師を見つけたら拝んでおく必要がある。

そんな施設も近くになく必要な治療を受けたいと思えば往復の交通費もバカにならないし、場合によっては宿泊費用も要るかも知れない。

色々と不安を煽るようなことばっかり書いたけど、これが現実である。

以上、長ったらしい文章を読んで

「ケッ!!保険屋ががん保険の宣伝かい!!」と思うのはあなたの自由でもあるし「成るほど!!それが今の現実か!」と自分のなかで噛み砕いて整理しておくかは、これもあなたの自由である。

包み隠さず話すと、ブログを利用してここまで書いてしまうのは営業的にはロボゴン0点である。

ブログ内で散々不安を煽っておいて面談に持ち込んで、それから口でうまく言いくるめて契約にもっていくのが正しい(?)やりかたである。

それをあれもこれも公開してしまったらどうするの!!このクソバカタレめ!!←苦々しい顔で読んでいる同業者の顔が思い浮かぶが・・・
ほんま・・・クソにバカタレまでつけて下さってありがとうございます。


しかしそんなん別にええやん!!こんなことを知りたがってる人は大勢おるんやし、ケチくさい真似をして出し惜しみするより大勢の人に知っておいて貰えた方が役にたつ。

それにあれこれブログで書いたところで、オレの引き出しはまだ一杯あるしぃ~


さて、ほんまの最後になったけど長い文章を読んで頂いてありがとうございました。

全て伝えきれない面はあったけど、これ以上長くなると読む方も嫌になると思うので、文太さんの立ちションシリーズはこれにて閉幕。

ご意見やご感想などがございましたらコメントかメッセージフォームからどうぞ。

また個別の相談も賜りますのでお気軽にどうぞ(さりげなく宣伝)

当然であるが「相談は無料」で「相談内容の秘密は厳守」

「無料」に弱いあなたは一ポチッとしてくれるかな?
ではどなた様も良き週末を!!
広島ブログ

菅原文太の立ちション・その五

サザンの桑田さんは食道がんらしいが、文太さんの細胞が悪性に変わった場所は膀胱であった。

幸い、発見が早かったこともあり他への転移は認められなかったらしいが、治療方法を聞いて文太さんは大変なショックを受けた。

治療には手術をする。
場所が膀胱だけに、人工の尿道を腹の横につくり、ウエストポーチみたいな袋に尿を出す。

溜ったら自分で処理する。

ウエストポーチが邪魔なこと以外は風呂にも入れるし、日常生活で大きな不便はない。

しかし!!

人間が本来もっている排泄器官から出すものを出せない苦しみを想像したことがあるか?

オレの知人で人工肛門をつける手術をした人がいたが、精神的な凹みようは想像する以上に大きかったと家族の方が言っておられたことを思い出す。


そりゃあそうかもね!!

文太さんもその方法を聞いて以来相当悩んだという。

誰が好き好んで人工の尿道なんてつけたいもんか!!
そこで文太さんは決心した。


立ちションが出来ない菅原文太なんて、菅原文太じゃない!!

自分は絶対立ちションをしてやる!!
と。


立ちションにこだわるところがやっぱ文太さんは男である。
カッコええわ~!!

しかしながら立ちションが出来るような治療方法があるのか?

都内の病院や知り合いなどを片っ端からあたって出会えたのが、第1話で紹介した中川恵一先生であった。

この先生、放射線治療の権威。

がんを切らずに放射線治療で治す。

そんな方法があることを知った文太さんは自分で納得して治療を受けることが出来て今では回復し、思いっきり立ちションをして、あっちこっちに飛び散らせているとかいないとか。

サザンの桑田さんは手術を受けるみたいであるが、部位やがんの進行程度によっては切らずに済む治療方法もあることを覚えておいて貰いたい。

しかし!!
この放射線治療・・・・アホほど金がかかる。

重粒子線治療って聞いたことがない?
あれも放射線治療のひとつであるが前にも紹介した先進医療にあたり健康保険がつかえず全額自己負担になる。

ウエストポーチに排泄するより誰だって本来あるべきところから出したいと願うけど、それなりの治療を受けようと思えばそれなりの諭吉さんの枚数も必要ってことですわい。

以上は今月19日に広島で開かれた「がんフォーラム」の内容を元に歴史などを加えて書いてみた。

医師ではないので詳しいことは書けないが、がん発生の理由からがん保険の生い立ち、治療方法の一例まで並べてみたが何となく理解して頂けたかな?

「がん怖い」「何でがんになるの?」「治療方法は?」「どれ位のお金が掛かる?」など十分に説明しきれない部分はあるけど、一つ一つを点で考えるより「線」か「面」で捉えて考えると分かりやすいのではないか?

そんな思いで書いてみたけど、何か一つご参考にして頂ければこの上ない喜びである。

しかし!!・・・実はもう1話続くのよフフフ

広島ブログ

菅原文太の立ちション・その四

その男の名前は「大竹美喜」
アフラック(アメリカン・ファミリー生命保険会社)日本社の創業者で現最高顧問で広島県出身。

日本の物造りと経営の2大双璧は本田宗一郎氏と松下幸之助氏は万人が認めると思うが、それ以外の「規制」という高い壁に挑んだ2大双璧は個人的に大竹氏と宅急便を全国に広めたクロネコヤマトの小倉昌男氏を挙げたい。

今でこそ宅配便は全国にあり、珍しくもないし色んな業者が参入しているが小倉氏が運輸行政に風穴を開けるまでは夢のまた夢であった。

同じように大竹氏が金融行政に立ち向かってがん保険の販売を認めさせるまでは、がん患者は十分な治療を受けることも出来ず死を待つのみであった(これには医療の進歩もある)。

その昔、金融行政ってのは「護送船団方式」といって違う異質なことを全く認めなかった。

銀行の金利?
どれもこれも同じ。
他より有利な金利なんて認めない!!
A行もB行も一緒にしとけ!

そのかわり絶対倒産させるようなことはないよフフフ


証券会社の手数料?
お前とこもあそこと一緒にしとけ!!

その変わり倒産させへんから安心しとけフフフ


保険商品と値段?
A保険があんなん出してこんだけの保険料やからお前とこも一緒にしとけ!!
そのかわり他の保険会社なんて認めんし大蔵省が面倒みたるがな・・・フフフ

これが護送船団方式。



大「お前も悪よのぉ~」
 「国民の年貢で助かっておいて借りを返さんとはまったく悪よのぉ~みづほ屋」

み「おそれ入りますお代官様~」「どうか一つよしなに」・・・とか。





大「お前も悪よのぉ~」
 「誰が助けてやったのかよもや忘れてはおるまいの~りそな屋」

り「ははぁ~お代官様、よ~く心得てござりまする」


ちょっと違うけどこんな感じ。


それが「日本を国際金融都市にしよう」と規制緩和が始まったのが金融ビッグバンで、96年の橋本政権まではこんな感じであった。

ビッグバン・・・
宇宙の始まりがビッグバンと呼ばれるらしいが、金融ビッグバンを最初にやったのが鉄の女マーガレット。

それを真似して日本でも始めたが、色んな規制を撤廃して国際金融センターを目指したものの、英語が通じないとか使い勝手が悪いとかで外資はさっさと日本を出てしまいシンガポールと香港にあっさりその座を明け渡してしまった。

ビッグバンと言うよりもビックリ・バンクみたいな感じ。

まったくお笑いであるが大竹最高顧問が当時の大蔵省にがん保険の販売を認めさせるまでには2年以上の歳月がかかった。
苦労の末、ようやくがん保険の販売が認められたものの、反対に言えばがん保険の販売しか認められなかった。

それでもがん保険の契約者はアメリカ同様に爆発的な伸びをみせ患者さんはお金の心配をすることなくがん治療に向き合うことが出来るようになった。

1974年。
今から36年前のことであった。

今日も文太さんの出番がなかったりして(・・
広島ブログ

はじめの半歩

文太さんシリーズはちょっと休憩タイム。

余り真面目なことばかり書いていると疲れるるからな…(自分が)。

さて、今年に入って心掛けていることの一つに「靴を揃える」ってのがある。
自分の家は元より人の玄関先でもこれをやるから、された方はたまったものではないと思うが構わずやる。

何でこんな事を始めたのかと言えば…

深い意味はない。
ただ何となくって感じ。

加えてもう一つ「歩幅を大きく歩く」ってのもある。
いきなり250ミリも広げるのはどうかと思いせめて125ミリ、半歩分だけでも大股で歩くようにしている。

これも始めるにあたり何の深い考えもなく、狭いよりか広い方がええかな…程度の事である。
半年以上続けてみて目に見えて変化は…

何もない。
強いて挙げるとすれば歩幅が広くなると手を大きく振るのでポケットに手を入れて歩く悪いクセが減ったことくらいかな。

それと何となく歩く姿が格好良くなったような気がしないわけでもない。
多分気のせいである。

そんなこの前、市内のオフィス街を歩いていたところ、前方にスーツ姿の女子が歩いていた。
髪を後ろで束ねていてよく見るとメガネ女子。

個人的にはスーツ・髪を束ねる・メガネが各100点なので合計300点!!

これにヘルメットを被っていてくれたら400点満点になるが、この先そんな女子を目にすることも無いと思ったりするが目前に300点満点が歩いていたら、後ろを歩く男が考えることは一つ。

「前に出てさりげないふりして顔を確かめたろ~♪」と。

そこで、前方の300点満点をロックオンして前に出るべく歩くペースを上げたはずが・・・

何と・・・

続きを読む

菅原文太の立ちション・その参

夕べ晩ご飯に生セロリを大量に食い過ぎて今日のゲップがセロリ臭い。
まるで飢えたキリギリスのような今日のオレ。

さて、文太さんが出てこない文太さんシリーズも第3話まできたけどここで「がん保険」の成り立ちについて書いてみようと思う。
「そんなの興味ない!保険金さえ払ってくれたらOK!」って人も居ると思うが、読んで腹が減るわけでもないのでしばしお付き合いを。

時は1950年代初め。
場所はアメリカジョージア州コロンバス市。

愛すべき母親の亡骸の元で3人の兄弟が嘆き悲しんでいた。

母親の死因はがんであったが、保険が進んだアメリカでもその当時はがんに特化した保険がなかった。

もし、がんで給付される保険があれば母親に満足な治療を受けさせてあげることができたのに・・・


ヨシッ!!
がん保険がないんやったら自分らで作ったろ~!!
3人兄弟がそう心を決めて1955年にがん保険は産声を上げた。

皆さんもご存知のようにアメリカでは日本のような公的健康保険がない。
(オバマ政権で制度化されるみたいだが詳しいことは承知していない)

病院の窓口で「お金もありません」「民間の保険にも入ってません」と言うと・・・



「お帰りはあちらです」と言われる。

残酷な気もするがそれが現実。

よく「日本人は保険好き」と言われるがアメリカのそれはもっと切実で、相当の貯えもなくがん保険も入っていないとなると、治療を受けることもなく黙って死を待つかそれとも破産するかの選択である。

3兄弟ががん保険を設計して販売するようになってアメリカで爆発的に契約者が増えたのは必然であった。

ちょっとここで他の保険にも触れておこうか。

元々保険ってのは損害保険が始まりで、海上輸送のリスクをどうにかしたいために生まれたとされる。

海上貿易が発達するにつれ、荷主や船会社や取引相手などが自分が被るかもしれない損失を誰かに引き受けてもらいたかったのが始まりであったらしい。

今でも損保会社の社名に「○○海上」とかあるのはその名残でもある。

生命保険は1800年代にイギリスで生まれた。
かの国では死亡保険のことを「ラスト・ラブレター」とか呼ぶらしい。

死んで行く者が残った者に宛てる最後の気持ちみたいなもんかな。

日本には明治時代、福沢諭吉が伝えたのが始まりで、一般的な死亡保険であった

諭吉さんが作った保険会社に紙に印刷された多くの諭吉さんが吸い込まれる。
これは諭吉さんの罠か?(そんなことはない)

さて、今では多くの会社が扱っているがん保険であるが、1955年にアメリカで誕生して以来、太平洋をわたってわが国に広まり、がん患者のサポートが出来るようになるまでは、約20年の歳月と一人の男の登場を待たなければならなかった。

文太さんの話がいつの間にか諭吉さんに替わってるけど、しつこく続く。

ん?
もう飽きたとか言うのは誰?
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